昨日はセミリタイアブロガーを手あたり次第見ていたのだが、
有能なのにセミリタイアしたいという人のブログがかなりあった
給料が良くて、彼女もいて、旅行が趣味なのでセミリタイアして自由な時間が欲しいというすべての欲望を満たそうとする人種だ
そんな有能な人間にはセミリタイアしてほしくない
セミリタイアをしたら金と社会的地位が失われるわけで、
欲しがり屋さんの有能人間からしたら後から絶対後悔するだろう
一時の時間は手に入るかもしれないが、どうせすぐに金と地位が欲しくなる
無限ループを繰り返す人生になる
一部の人からは
「院卒でそこそこ難しい資格ももってるからお前も無能じゃないだろ!」
という意見もありそうだが、そういった能力と仕事の能力は完全に別物だ
資格の勉強は1人でもできるが仕事はチームで動くので1人ではできない
人と関わることから避けてきたので今社会人となり苦しんでいる
一方でコミュ力ばっちりな有能サラリーマンが時間が欲しいからという理由でセミリタイアを検討するのは非常に許しがたい
セミリタイアは社会から零れ落ちる人間の受け皿であって、
キラキラしたセミリタイアは到底受け入れられないというのが私の信条だ
と他人を見て指をくわえていたところ
老師(元塾長)からタイムリーなお言葉があった。
『僕もうっかりというか、しばしばやってしまうのだが、ネットサーフィンなどしていると「嫌なのに見てしまってる」という状況はかなりある
他人の悪口、ゴシップネタ、まったく自分には関係ないのに嫌な気持ちになる、それをダラダラと目に入れるのはとても良くない事だと思う』
老子も自分自身の行動を顧みているようだが、これは私も自身のあり方について再考する良い機会となった
セミリタイアなんて他人と比較するものではなく、自分一人で人生満足できるような領域に達することが本質だ
もちろんその過程で他人のセミリタイアから参考になるところは学ぶべきだし、自分の価値観に合わなければそっ閉じすればよい話だ。
注意点としては自分に不都合な事実が書かれていたからといって、見ないふりをするのはよくない
例えば親の介護や孤独死など、なんとかなるだろで済ませておくのはダメだ
これは自分自身の問題なので解答を自分で考えて用意しておく必要がある
それができないのならただの現実逃避、自身としっかり向き合う
それがセミリタイア者には求められるだろう
どのみちまだ私にはセミリタイアするための十分な資金はない
老師の言葉である「嫌なら見るな」を心に余計な情報は遮断しつつ
壊されないよう会社の生き血をすすることに注力することが
私が望むセミリタイアへの近道だ